自己紹介


出身:和歌山県御坊市
こんな町です
和歌山県中部にある人口2万8千人程の田舎町


1983年に御坊小学校を卒業

1986年に御坊中学校を卒業
この御坊中学校というのがものすごい学校でまずトイレの鏡はすべてなし(盗まれた)
授業中に先生と生徒が殴りあいのけんか
授業中に上の階から机が降ってくる

すごかったまるでスクールウォーズの川浜高校のように

しかしこの頃のいろんな経験が今の僕を形成している
(少々のことではびびらないのもこの為だ)

でもこの頃はよかった、テストをすれば100点ばかり、自分でも「天才ちゃうか?」
と思っていた。

で和歌山県立日高高等学校に楽々入学(といっても競争率は1.03倍)

そこで成績は急降下、担任のおばはんに「これじゃ桃山にも行けませんね」
と鼻で笑われた。

正に天国と地獄であった
今まで学校でトップを走っていたのがいきなり急降下
450人中けつから90人以内になってしまったのだ、しかしそれほど
あせりはなかった、このとき逆境に耐え忍ぶ根性を身に付けた。

部活は演劇部に入った、ここでM君と出会う。
このM君も成績最低ランクの男だった

今だからばらすが僕はこのM君に1度だけ成績を抜かれた事があるが
変に見栄っ張りな僕は彼より1ランク上の成績だとうそをついた

2年間馬鹿なまま過ごした、部活は楽しかった
近畿総合文化祭っていうのにも出たりした、神戸女学院の演劇部も出ていた

3年になりそろそろ勉強しないとやばい状況になってきた
しかし理数系はまったくできずとても国公立には行けない

ちなみに数Tで12点、物理で7点なんて点数を取ったことがある

とりあえず私立を受けることにし、英語と世界史にすべてをかけた

成績は上がりM君は僕の遠くへ行ってしまった

で受験の季節がやってきた

関学の法、立命の法・産社・経済、駒沢の法、を受けた。

関学の法は日程あわせで受けただけでなんとなく立命に行きたかった

結果はなぜか関学の法に受かってしまった
立命の経も受かったが父親が関学へ行けというので
まあ何でもよかったので行くことにした

で大学へ行き最初は全関映という映画サークルに入った(入部金2000円を払った)

しかしなんとなく面白くなかったので行かなくなった

しばらく法学部自治会で遊んでいたがどうも面白くなくなり
「ハーモニカ」という字に目がとまり「ハモソ」に入ってしまったが
まったくハーモニカではないパーカッションというパートを
4年間やった

どうも勉強は燃え尽き症候群になってしまったようで
授業にもほとんど出なかった

4回の春の時点で80単位残っていたが前期で30取り後期で50取り
難を逃れた

この燃え尽き症候群は深刻でいまだに全く勉強する気がしない

で全く努力せず誰でもなれるサラリーマンになった

26のときに結婚した

27のときに娘が出来た

31で息子が出来た

たいした努力もせずに生きてきたが今のところそれなりにいい人生を
送っていると思う

お金も地位もないが宝物はいっぱいある

家族、そして友人、友人は少ないがみんな僕にとってはかけがえのない財産だ。

先の事はわからないがこれからも脳天気に追い込み型の人生を歩んでいきそうだ。






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